今村祐嗣のコラム

交流と連携

はやり言葉

大学で仕事していても、使う言葉にこだわる時期というものがある。組織の改革とか予算要求を行う際はとりわけ用語に注意する必要に迫られる。最近、特に耳にすることが多いフレーズの一つが「連携」である。例えば、異なる学部や研究所が個別的に対応するのではなく部局間が連携して物事を進めていこうとか、あるいは大学相互が手をつないで連携しようとか、学会と産業界が連携を強めようとか、すぐにいくつか思いつく。つい最近までは交流という言葉の方が一般的であったが、いつしか連携に取って代わられた気がする。以前は大学間交流とか国際交流といわれていたのが、今は大学間連携であるとか国際連携ということになっている。産学連携しかりである。
交流と連携はどう違うのか。交流というと個別的に独立してやっているものが相互に行き来して顔を合わすというイメージが強いが、連携となると目的意識を強くもって共同で何か形のあるものを達成しようという意味合いが強くなるように感じる。無駄を省き効率性を向上させる側面がある一方で、従来の枠組みでは果たせなかった、あるいは得られなかった新しいものを創出しようという願いもあるようだ。ところで英語ではどう違うのだろう。辞書で連携をひくとコーポレーションという単語が出てくるが、交流を検索するとエクスチェンジとかコミュニティという言葉が表れる。英語のコーポレーションはきわめて範囲が広く、協調、協力、共同という単語の訳には一様に該当する。私の感覚では交流を一歩進めたものが連携で、さらに利害が一致すると提携(タイアップ、アソシエーション)ということになるのであろうか。
われわれの大学でも医工連携と称した先端的な研究開発が行われているが、ここでは人工臓器の開発や診断技術の研究など医学と工学のそれぞれの分野の専門技術を持ち寄って新分野が開拓されている。昔に映画で見た「ミクロの決死圏」ではないが、曲がりくねった小腸内壁の観察で活躍している移動式超小型カメラなどは工学的技術の支援があってのものであろう。また、遺伝子関連の生命科学分野では理学、医学、農学の研究者が連携しながら鎬をけずっている。こういった最近の医学や生命科学分野などの自然科学系の分野横断的な技術開発ばかりでなく、先日のある「お知らせ」では自然科学と社会科学の連携研究の募集案内、などというタイトルの文書にお目にかかった。従来のサイエンス一辺倒の方向が本当に人類を幸せにするのか、未来の地球環境の保全や持続的社会をはたして構築できるのか、という疑問と反省の上に生まれてきたように思える。もっと社会科学的な視点なり展望が必要ではないかということであり、専門化した技術だけでなく俯瞰的な科学技術が必要だという論議と共通している感じがする。

砥の粉

現代社会の科学技術における新規分野の開拓と効率的な発展のために必要となってきた連携ではあるが、一つの技術分野においてもまだまだ連携すべきところがあるのではないだろうか。木材や住宅産業においても、異分野はもちろん関連分野内でももっと連携すべきではないか。そんな「内部連携」を考えていたところ、私の地元の新聞(京都新聞10月31日号)に「砥の粉」の話が報じられていた。次ページへ