今村祐嗣のコラム

際の科学

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このような繁殖方法はソテツも同様であり、裸子植物の中で最も原始的でありシダ植物に近いものと考えられている。私は海に発生した生命の進化の過程において、植物と動物の生物的な共通性をそこに感じる。ヤマグルマやイチョウといったハザマの植物には、不思議さとともに学問的な興味がつきない。

学際研究

ところで学問や研究の世界では、いわゆる学際研究の推進が叫ばれて久しい。英語ではinterdisciplinaryといわれるが、複数の異なる学問分野にまたがる境界領域の研究を意味する。科学の発展につれて学問や研究の分野が細分化され、ある分野に特化しなければ先端を切り開けないという状態になったが、一方では、先鋭化されるにつれて一人の人間が対応できる範囲がますます限定されるようになった。そこでそれぞれの領域を埋める科学技術が求められ、学際の重要性が指摘されてきたということではないか。古くは生物、化学、物理とあった科学の分野の学際領域の融合によって、生物化学や生物物理と称される学問分野が構築されてきたこともそうであろう。また、医学と工学との学際や文理融合という大きな領域の「際の科学」だけでなく、限られた研究対象においても、それぞれの専門性が異なる分野間の境界の技術開発や研究はきわめて重要なものになってきている。 直接的に学際的な研究はさておくにしても、異分野の方からの提案や考え方には意表をつくような例が多いのもしばしば経験することである。私の仕事の場合でも、特殊な鉱物のパーティクルを利用してシロアリ被害を防除する方法や超音波やニオイセンサを利用してシロアリを非破壊的に探知する手段の開発などは、異なる専門性をもった共同研究者の協力なしには成功しなかったものだ。しかし、そういった、ある意味では奇抜とも思える提案を周囲から受ける機会は多々あったとしても、その時に的確な嗅覚をはたらかせず、うっちゃっておいて、せっかくの種が宝にならずに消えてしまうのも多いのではなかろうか。
最近の京都新聞のコラムで哲学者の梅原 猛先生が、研究するには一応学界の常識、つまり通説に従わねばならず、多くの学者は通説のなかでのみ学問をしているので、たとえそこに矛盾があっても気がつかない、しかし、子どもの心をもつ学者の目にはその矛盾がはっきりみえ、真の姿が映り、そこから新たな説が生まれてくると看破されていた。大切なのは、したがって童心と新たな説を世に出す勇気だと指摘されている。ところが、凡人の固まった頭では、子どものような通説にとらわれない創造力を十分に発揮することは容易ではない。異なった分野の方と同じテーブルで論議することは、その分野の常識にとらわれていない目で見つめるということではないだろうか。それとともに、常識や通説といった既成の枠を打ち破って世に出していく勇気が本当に大切だと思う。